「馬鹿なっ」
「あいつは『Last Day』なんだよっ!」
「死人に『Last Day』が感染するなんて話、聞いた事ないぞ…」
俺は考えた。疲れ切った頭をフル稼働させた。
沢山の推測と仮定を消去させていく。
残ったのは…。
嘘だろう。
「盃は死んでないの…か?」
ありえない…。
でも、ありえてしまう。二人の話すことが真実なら。
「盃はどこですか?」
いや、待て待て待て。
状況を整理するぞ。
「ちょっと待つんだ。俺は、確かめたんだぞ。あいつの心臓は動いてなかったんだぞ!」
「それが、『Last Day』の、別の作用だとしたら…」
その武が発した言葉は、煮えたぎっていた藤代を凍りつかせ、静かに部屋の中に響き渡った。


扉が開く。
その入口には、汗だくの藤代が立っていた。
「父さんっ!」
健太と武。
二人は部屋の中で待っていた。
「先生!これは、どういう事ですか?」
森北も起きたのか。
「…」
藤代は黙ったまま、白い布で覆い被せられた盃の身体の前に立った。
「このような場合、あまり見せたくはないんだが…」
武は藤代を突き飛ばした。
「お、おいっ!」
武は一人、横たわる盃の横に立った。
藤代の意に反して、武はその布をゆっくりとめくりあげていく。
健太、武、そして、森北の三人はほぼ同時に目を見開いた。
「身体が消えかかってる…」
「これが…今の盃だ」
「さ…盃…?」
「落ち着くんだ」
これは…予想以上だ…。
歯を食いしばる藤代を見た健太は口を開いた。
「治るのか…?」
「…こればかりは、分からん」
「盃…?ねぇ…」
死んでいるように見える盃の冷たい肩を掴んで、揺する武。
武…。
俺は武を救えたんだ。
盃だって、救える筈…。
「父さん」
「ああ…何だ?」
「俺がやるよ」
「な、何をやるっていうんだ?」
「俺しか方法は、無いんだろ」
即座に藤代は森北の顔を見た。
森北は首を横に振っている。
「どうして、お前…」
「僕、見たんです。あのファイル…。それで、」
「っ!」
しまったっ!
デスクに置いたままだった!
「行かせてくれよ。父さん」
この場をどうやったら切り抜けられる?
…無言?
「…」
駄目だ、駄目だ。
「行かせてくれよ!」
俺は。
「…っ、…駄目だ。許可は出来ない…」
「――っ!」
苛立ちに掴みかかろうとした健太を右手で制すると、武は藤代の前に立った。
「どうして…ですか?」
「真藤」
「どうして駄目なんですか。実際、健太は僕を助けました。経験が足りないからですか?親の純粋な想いですか?」
「確かに、それもある。だが、根本的な違いは…病状のレベルだ…」
「レベルだと?そんなもんでっーー」
健太が叫んだ。
すぐそれを武は制した。
「幾らなんでも、コイツは無理だっ!真藤の場合、まだ『LD』に侵されたばかりだった。まだ初段階、いわばレベル1。だが、こいつはもう数分で消滅する。レベル5。つまり、末期なんだ!」
「だからですか?」
武は静かに声を発した。
「どうせ間に合わないから、だから諦めるんですか。医者って言うのは最善を尽くし、自分の命に懸けても患者を救う人じゃなかったんですか!」
俺は、衝撃を受けた。
とんでもない衝撃を。
今なら、見える。

『たとえ消え入りそうな命でも、目の前に命がある限り、お前が本当に医師であるんなら、絶対に諦めるんじゃねぇ!』

真藤と被さるように、あいつの面影が…。
「真藤。お前、親父さんと、そっくりだな」
「えっ?」
「いや、親父さん顔負けなくらい、言ってくれる奴だ」
そうだな。
前にも言われた気がするよ。
「確かに、お前の言う通りだったよ…」
健太は、ただ見ていた。
父さんが折れるなんて、そんな父さん見た事がないな。
健太は真藤に目を移した。
威風堂々と立っている。
しっかりと見開いた眼差し。
正義を貫くその眼。
藤代はその目の奥を覗いていた。
「健太、お前の夢は…」
はっと我にかえった健太は即座に口を開いた。
「医者だ!誰よりも命の尊さを知り、誰よりも命懸けで、誰よりも多くの人を救う。そんな医者になる!」
「即答、か」
軽く藤代は笑った。
「お前なら、なれる。なれるさ。いや、なって貰わないと困るさ」
「藤代先生…?」
先生…泣いてる…?
森北は一筋光る涙の跡を見つめた。
「ははは。どうしてだろうな…。この医者の俺が、二人の何の変哲もない普通のガキに、医者が何たるものかを教えてもらうなんて、な…」
「…」
「…んな事を話してる場合じゃなかったな。…健太、行けるか?」
「あ…ああ!武、任せとけ!」
「頼んだよ、健太」
「待て。長い話になるが、それは帰ってからにしよう。真藤、お前も行ける筈だろうよ」
「どこに?」
「盃の『Last Day』の中に、な」
藤代は頬の涙跡を手で軽く拭くと、また同じように笑った。
「なっ、マジかよ」
「長くなる。無事に戻ってきてから、話す。行くなら、さっさと行け!」
「は、はいっ!」
武は思わず声を張り上げた。
ドアノブに手を掛けた健太を見て、藤代は口を開いた。
「…健太」
「何だよ」
刹那の沈黙。
「…最善を尽くせよ」
「当たり前だろ」
元気な声が病院内に響き渡る。
健太と武は、藤代と森北の前で意識を沈めた。
雅人…、お前の息子は…立派に成長してるぞ。
嬉しいほどにな。


盃は、自問自答を繰り返していた。
ここは、夢?
ここは、現実?
分からない。
窓ガラスに映る僕の顔。
僕は、もう疲れた。
独り言のように“僕”に言っていた。
「まだ、生きたいか?」
…。
「生きている意味がないんじゃないか?」
…。
「答えろよ」
…。
「いつになったら分かるんだよ!」
…。
「人殺し」
…。
待てよ…。
この違和感は何だ?
どこかで聞いた。
この言葉。
は…ははは…。
ハハハハハ……。
笑えるよ。
笑ってしまえるよ。
狂ったように、笑い続ける。
腹を抱えて笑うほど。
喉が渇れてしまうほど。
僕は、狂っちゃいない。
何が可笑しいと思う?
そうだ。
あの声は。
消えた人間達の声じゃない。
僕が消した彼らの声じゃない。
あれは。
あれは、僕自身の声だったんだ。
本当の自分は何だったのか。
見失ってしまっていた。
今の僕は、僕じゃない。
昔の僕でも、ない。
今の僕は、違う僕。
他人。他者。
誰なんだ。
いつの間にか、本当の自分すらも、消してしまっていたのか。

ハハハハハハハハ……。

悪魔が。
僕の中に。
生きていたのなら、辻褄が合う。
何の辻褄?
今更、考えるなよ。
そう。
今更だ。
今更、気づいた。
今になって気づいてしまった。
今になって。
くそっ。
頭が、痛い。
割れるほどの痛みが走った。

そうして、僕は現実に引き戻された。
どうして…どうして…。
どうして…どうして…。
僕は、この世界に生きていられるんだ?
みんなを消して、のうのうと生きているのは…どうして?
「僕は…僕は…」
自分だけが助かった。
嬉しかった?
喜んでいた?
笑っていた?
「…僕は……」
一筋の涙が頬を静かに伝う。
手に持っていた本がするりと、こぼれ落ち、床にぱさりと落ちた。
僕という僕が、崩壊した。
『ハハハハハ。結局、そうなっちまうんだよな』
声が聞こえる。
僕自身の声が。
崩壊した僕が、呟いた。
悪魔が目覚めた。
そして、この僕に囁いたのだ。


茜色の夕空の下。
健太と武の二人は、ぽつりと立っていた。
辺りを見回すに、ここは住宅街のようだ。
誰もいない。
不気味なほど静かな住宅街である。
「武、ここは?」
あたりを見回す健太。
「…あれは、盃の家だ」
武はぽつりと呟いた。
その視線の先をたどる。
「じゃあ、さっさと行くぞ」
健太は武の肩に手を置いた。
と、その時、武の顔が一変した。
「どうした?」
青ざめた武が、不意に健太の手を払いのけて何かを恐れるかのように、家の中に急いで入っていった。
「あっ、おい!武っ!」
俺は直様、武の見ていた方を見た。
「なっ…!」
健太も、武の後に続いて家の中に入っていった。
それは信じられない光景だった。
空にぽっかりと穴が空いている。
ぽっかりと。
黒い穴が。
その穴は、徐々に広がりつつあった。
この世界が崩れてきている。
その原因、そして理由は二人でも容易に推測できた。
つまり、それを言い換えるに、創造者の死が近づいている。
死を創造者が望んでいる、もしくは、その状態に近づきつつあるということ。
階段を上っていく。
一段飛ばしで、駆け上がっていく。
階段を上り終えると、一本の廊下。
六つの扉。
どこだ?
「ははは…」
武の笑い声。
悔やんだ、微かに泣いている、そんな声。
「武?」
一番奥の右側の扉。
一筋の茜色の光が扉の少し開かれた隙間から、こぼれている。
俺は静かに歩み寄った。
その扉の前に立ち止まった時。
「くそっ…間に合わなかった…」
声が、震えていた。
「間に合わなかったんだ…」
ドアノブに手を掛けて、ゆっくりと開いた。
「助けるって言ったのに…!」
空っぽの部屋。
誰もいない。
さっきまで、誰かが居たのか…。
盃か。
灰色のカーペットが僅かに沈んでいる。
いや。
いや、まだだ。
まだ何とかなる筈だ。
「どいてろ、武」
まだ完全に崩れていないってことは、まだ盃は死んでいないって事だ。
まだ、助けられる。
…はずなんだ。
「今更、何が出来るんだよ?」
「お前の前にいる。盃はまだ、死んじゃいない」
「え?」
「ちょっと行ってくる。あいつの心を引っ張り出してくる」
武の前から健太は消えた。
ただ、何かが違った。
また、嫌な予感がした。


夢の中で生きていた盃の一生が、頭の中に流れ込んできた。
そして、俺は目が覚めた。
そこは。
真っ暗な闇。
武の時と同じだ。
でも、こいつは…。
寒い。
とてつもなく、寒い。
「また、会ったね」
声しか聴こえない。
姿が見えない。
暗黒の闇の世界。
「前に会ったのは、夢の中でか?」
言うなれば、意識のみの世界。
「覚えていたのか?」
どこか、彼が去っていく気がした。
「どこへ行くんだ?」
つい口走ってしまっていた。
「この僕を必要としている、新しい世界かな」
「じゃあ、俺の世界に来いよ。盃、お前を必要としている人がいる」
「…どうせ、真藤だろ?」
意外だった。
「ああ、そうだ」

『本当にそうなのか?』

え?
声の調子ががらりと変わった。
「は?」
『本当に僕は必要とされているのか?』
「当たり前だ」
『当たり前?』
「そうだ。親友が親友を必要とするのは当たり前だろ」
『僕を必要としている人が君の世界にいるのなら、僕の世界にいないのは、何故だ!』
「何を言ってるんだ?」
『答えろよ!』
「…どうして、この世界にお前を必要とする人がいないのか…。そりゃあ、お前が自分の記憶から消しちまったからに決まってんだろ」
『ハハハハハ。どうして僕がそんな事をする必要があるんだよ?』
「お前は、自分の存在を認めてもらいたかったんだ」
『何の話だっ!』
「でも、認めては貰えなかった。それどころか存在すらなくなってしまった。だから、盃、お前は、自分の存在を消した他の人が嫌いになってる。逃げているだけじゃねぇか!」
『綺麗事を言ってるだけじゃねぇか。所詮、人間風情なんてそんなものだな。だろ?裕太?/ああ。君の言う通りだったよ』
「っ!」
『ハハハハハ。なに豆鉄砲喰らったような顔をしてるんだよ』
「盃…?」
『そうさ。俺は盃に決まってんだろ。しかも、ちょっとばかし盃に育てられた――』
「…」
『――悪魔でもあるんだぜ』
「…」
『どうした?恐くて声も出ねぇか?ハハハハハ』
「お前は、病気だ」
『狂っちゃいねぇよ』
「盃と話をしたい」
『ああ?』
「お前と話すと調子が狂う」
『俺も盃だ。話があるなら俺に言えよ/気にする必要なんてない。僕は、もう決めたのだから…/でもよ/うるさいよ。静かにしてくれ/ったく、分かったよ』
『…これでいい』
「さっきのは、何なんだ?」
『…悪魔だ。僕がいつの間にか育てていたんだ。それで、話って?』
「ハハハ」
『何が可笑しいんだい?/おい、何か企んでんじゃねぇのか?/…それは本当なのか?』
健太は軽く笑った。
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