おそらく、何かが僕を追いかけている。
ちらりと横目で後ろを見る。
目を見開くも、すぐに前に向き直る。
僕を追いかけているのは、赤ん坊だった。
不気味に笑いながら、左足が膝辺りで引き千切られて、両目を抉られているにも関わらず、僕と赤ん坊との距離が徐々に詰められてきている。
警察官も女子高生にいつ飽きるか分からない。
もしかすれば、今、この瞬間にも女子高生を放り投げて僕に向かってくるかもしれない。
銃に弾が装填されていないかもしれない。
一か八かの賭け。
そんな僕はどこか楽しんでいたのかもしれない。
口の端が少し上がるのを感じた。
僕は手を伸ばした。
その間、女子高生と目が合った。
充血した赤い目。
彼女の口が小さく動く。
何かを伝えようとしているのかもしれない。
だが、分からない。
拳銃を手に掴む。
そのまま抜き取り、警察官の頭に銃口を向ける。
引き金に人差し指を乗せて、引いた。
運動会で聞くような破裂音。
手に伝わる反動が腕に伝わる。
頭を弾が貫通し、鮮血が飛び散る。
警察官が倒れるより先に女子高生が力なく地面に伏す。
そして、飛び掛かってくる赤ん坊を、何の躊躇もなく撃った。
呼吸が絶え絶えの女子高生に近寄る。
苦しそうに悶える彼女は、さっき普通の現実的な女子高生とは思えないくらい、真っ赤な血肉でべっとりだった。
彼女の目が、僕の手中にある拳銃に向けられる。
きらきら目を輝かせて口を小さく動かす。
大体の意思は理解できる。
彼女の頭に銃口を向けると、彼女は両目を閉じた。
その目から赤い血色の涙を流した様を見ながら、僕は引き金を引いた。
薬莢の匂いが鼻にくる。
ふとその匂いで我に返る。
いつから我を忘れていたのかは覚えていない。
自分に恐怖感を抱いた。
だが、その自分の時間を作っている余裕も与えてはくれず、拳銃の発砲音で彼らは刺激されるのか、こちらに向かってきていた。
弾はあと三発。
他に拳銃があれば、いいのだが。
辺りに警察官はいない。
いたとしても同じ手が次にはまた成功するか、分からない。
無駄弾を撃ってはいけない。
僕は元来た道を戻るように走った。
走る。
というよりも、逃げる。
電柱の影にも、曲がり角の傍にも、彼らはいる。
地面の所々に赤い血溜まりが出来ている。
まるで血の雨が降ったかのように。
家の中に隠れるべきか?
いや、駄目だ。
家の中ほど角や袋小路の多い場所はない。
途方もない、目的地もない、ただの『逃げる』という行動。
流石に呼吸も上がり、どこかで休む必要があった。
「なんだ…?」
気づけば、車道には車の一台も走ってはいない。
しんと、静まり返ったこの街。
非現実的である。
ふと、自分の手に握られた拳銃を見る。
頭の中でよぎる現実。
警察官の頭を撃った。
赤ん坊を撃った。
女子高生を撃った。
僕はこの拳銃で三人の命を奪ってしまった。
理由はどうであれ。
僕のしたことは罪深い。
今更ながら、先ほど、咄嗟に抑え込んだ恐怖感が一気に僕に襲いかかる。
「あ………」
言葉にならない哀しみが僕の口からこぼれる。
頭を壁に叩きつける。
痛みが走る。
涙が溢れる。
痛いからではない。
罪深い自分が情けない。
壁に僕の影ともう一つの影。
足下から徐々に影が壁を上ってくる。
振り向く。
目の前に、首が真横に折れ曲がっているニット帽を被った男。
口を大きく開いてゆっくりと近づいてきていた。
下顎から脳天目掛けて引き金を引く。
彼の脳天からほとばしる赤い液体。
そのまま、男は後ろに倒れる。
銃を握り締めたまま、僕の頭の中は真っ黒になった。
僕は何をしている。
現実が嫌いで、非現実の方が嫌いで、今、もう既に四人も殺した。
僕なんかに生きている価値なんてあるのだろうか。
壁にもたれ、座り込む。
近づく女性を一発。
床に飛び散る鮮血。
なんて人間は脆いのか。
近づく少年を一発。
壁に飛び散る鮮血。
なんて人間は儚いのか。
そして、哀しみに明け暮れる自分自身に。
一発。
弾はもう残っていなかった。
「銃は、」
その言葉を呟いて、数秒、無言の間が出来た。
その最中、僕は思い出していた。
様々な酷い映像が頭の中で瞬時に流された。
そして、重い口を開く。
「銃は、警官から奪った」
「その警官、反抗してこなかったのか?」
「ああ」
間髪を入れず答える僕。
窓の縁に鳥がとまった。
その鳥と目が合う。
その鳥と僕が撃った女子高生とが被るように映り込んだ。
目を反らす。
「その警官、何してたんだ?」
「女子高生に夢中だったんだ」
首をかしげる知奈。
無理もないだろう。
「その女子高生が余程好みだったんだろう。喰いつき方が半端じゃなかったよ」
女子高生の血肉を貪る映像が浮かんだ。
あの酷い顔も。
「何が、あった?」
「どうして?」
「顔色が悪い。それに、手、」
「手?」
手元に目を移す。
目を疑う。
僕の両手が。
「震えてる」
震えは止まらない。
無意識に震える手を止められなかった。
知奈が立ち上がったかと思うと、僕の傍に座って、手を握る。
温かい手が僕の冷たい手をぐっと握る。
だからといって何が変わる訳でもない。
でも、今、それが私に課せられた事だと知奈は思っていた。
「外、見えるんだな」
手を握ったまま、彼女も壁にもたれた。
僕の横に座るように、ただそこにいるだけなのに心が落ちつく。
「ああ」
現実は嫌いだ。
でも、こういう一時も良いのかもしれない。
鳥はもういない。
いつの間にかいなくなっていた。
「私、」
そう、ぽつりと彼女は呟く。
誰に聞かせる訳でもなく、ただ呆然と話す姿を見ていた僕は、ただそれを聞いていた。
「私、親を殺したんだ。親だけじゃない。近所の親しかった婆っちゃんも、」
唾を呑み込む音。
呼吸をする音。
震える声。
全てが感じる。
彼女が近くにいるからなのか。
それとも、手を握っているからなのか。
もしくは、ここが静かだからなのか。
そんな思考は構わないで、彼女の言葉は流れていく。
「兄貴が野球で使ってた金属製のバットで殺した」
「金属バットで、」
「私、空手とか色々やってたから、力は強いんだ」
絶対に相手にしたくない女トップ3に入るな、と僕は内心思った。
「私、正直、親の事嫌いじゃなかったんだ。なのに、」
僕と相容れない存在が、ここにいる。
そう感じた。
「銃があるなら、私も使ってたよ。孝が羨ましい」
何かが引っかかる言い方。
「どうして、そう思うんだ?」
「だって、銃だと殺してる感覚がない。私は、直に手に伝わるの、骨を砕く感覚、肉を押し潰す感覚とか」
彼女の顔色が悪い。
話しているのも、やっとというのが、伝わってくる。
そんな話続けても意味がないだろう。
「話、変えようか」
知奈は首をかしげた。
「こんなこと話しても意味がない」
僕は窓の外を眺めながら、言った。
その窓から、そよ風が吹く。
「意味がなくても、いいじゃない。どうせ、ここにはずっといるんだし」
知奈が笑う。
何故、笑う?
確かに『無期懲役』の刑罰に白紙の変換はない。
その笑いは諦め、か。
その時、妙な音を聞いた。
窓の外を見る。
この窓の大きさだと何も確認できない。
嫌な予感だ。
あの時の何かが迫ってくるような感じがする。
壁の向こうから、何かが。
「知奈、肩貸してくれ」
「肩車って事?」
「そうだ。早く!」
血相を急変させる僕に戸惑いを覚えていた知奈だったが、窓の下の壁に手をついて、「いいよ」と言った。
その間にも徐々にその音は大きくなる。
何なんだ、この音は?
知奈の上に上る。
普通なら、僕が下なのだが。
窓の外を見る。
「おい…嘘だろ…」
次第に大きくなるその音に気づき始めるこの牢獄内の人間たち。
俺はすぐさま、知奈から降りた。
「旅客機がこっちに向かって来る!」
声を張って、牢獄内に響かせた。
知奈はそれを聞いてすぐに牢獄の隅で両手を頭に乗せて身体を丸くした。
「衝突するぞ!皆、しゃがむんだ!」
壁の向こう側。
音だけが大きくなる。
「しゃがめ!しゃがむんだ!」
旅客機の中で何があったんだ…?
疑問がわき起こる。
「孝!」
牢獄の隅で丸くなる知奈が、僕を呼ぶ。
僕は知奈の傍らに飛び込んだ。
僕が飛び込んでしゃがんだ直後、凄まじい衝撃と熱風、そして地響きが起こった。
絶対に離すものかと固く握り締めた知奈の手の感触は分かってはいたが、その後の記憶はなく、僕らは意識を失った。
ちらりと横目で後ろを見る。
目を見開くも、すぐに前に向き直る。
僕を追いかけているのは、赤ん坊だった。
不気味に笑いながら、左足が膝辺りで引き千切られて、両目を抉られているにも関わらず、僕と赤ん坊との距離が徐々に詰められてきている。
警察官も女子高生にいつ飽きるか分からない。
もしかすれば、今、この瞬間にも女子高生を放り投げて僕に向かってくるかもしれない。
銃に弾が装填されていないかもしれない。
一か八かの賭け。
そんな僕はどこか楽しんでいたのかもしれない。
口の端が少し上がるのを感じた。
僕は手を伸ばした。
その間、女子高生と目が合った。
充血した赤い目。
彼女の口が小さく動く。
何かを伝えようとしているのかもしれない。
だが、分からない。
拳銃を手に掴む。
そのまま抜き取り、警察官の頭に銃口を向ける。
引き金に人差し指を乗せて、引いた。
運動会で聞くような破裂音。
手に伝わる反動が腕に伝わる。
頭を弾が貫通し、鮮血が飛び散る。
警察官が倒れるより先に女子高生が力なく地面に伏す。
そして、飛び掛かってくる赤ん坊を、何の躊躇もなく撃った。
呼吸が絶え絶えの女子高生に近寄る。
苦しそうに悶える彼女は、さっき普通の現実的な女子高生とは思えないくらい、真っ赤な血肉でべっとりだった。
彼女の目が、僕の手中にある拳銃に向けられる。
きらきら目を輝かせて口を小さく動かす。
大体の意思は理解できる。
彼女の頭に銃口を向けると、彼女は両目を閉じた。
その目から赤い血色の涙を流した様を見ながら、僕は引き金を引いた。
薬莢の匂いが鼻にくる。
ふとその匂いで我に返る。
いつから我を忘れていたのかは覚えていない。
自分に恐怖感を抱いた。
だが、その自分の時間を作っている余裕も与えてはくれず、拳銃の発砲音で彼らは刺激されるのか、こちらに向かってきていた。
弾はあと三発。
他に拳銃があれば、いいのだが。
辺りに警察官はいない。
いたとしても同じ手が次にはまた成功するか、分からない。
無駄弾を撃ってはいけない。
僕は元来た道を戻るように走った。
走る。
というよりも、逃げる。
電柱の影にも、曲がり角の傍にも、彼らはいる。
地面の所々に赤い血溜まりが出来ている。
まるで血の雨が降ったかのように。
家の中に隠れるべきか?
いや、駄目だ。
家の中ほど角や袋小路の多い場所はない。
途方もない、目的地もない、ただの『逃げる』という行動。
流石に呼吸も上がり、どこかで休む必要があった。
「なんだ…?」
気づけば、車道には車の一台も走ってはいない。
しんと、静まり返ったこの街。
非現実的である。
ふと、自分の手に握られた拳銃を見る。
頭の中でよぎる現実。
警察官の頭を撃った。
赤ん坊を撃った。
女子高生を撃った。
僕はこの拳銃で三人の命を奪ってしまった。
理由はどうであれ。
僕のしたことは罪深い。
今更ながら、先ほど、咄嗟に抑え込んだ恐怖感が一気に僕に襲いかかる。
「あ………」
言葉にならない哀しみが僕の口からこぼれる。
頭を壁に叩きつける。
痛みが走る。
涙が溢れる。
痛いからではない。
罪深い自分が情けない。
壁に僕の影ともう一つの影。
足下から徐々に影が壁を上ってくる。
振り向く。
目の前に、首が真横に折れ曲がっているニット帽を被った男。
口を大きく開いてゆっくりと近づいてきていた。
下顎から脳天目掛けて引き金を引く。
彼の脳天からほとばしる赤い液体。
そのまま、男は後ろに倒れる。
銃を握り締めたまま、僕の頭の中は真っ黒になった。
僕は何をしている。
現実が嫌いで、非現実の方が嫌いで、今、もう既に四人も殺した。
僕なんかに生きている価値なんてあるのだろうか。
壁にもたれ、座り込む。
近づく女性を一発。
床に飛び散る鮮血。
なんて人間は脆いのか。
近づく少年を一発。
壁に飛び散る鮮血。
なんて人間は儚いのか。
そして、哀しみに明け暮れる自分自身に。
一発。
弾はもう残っていなかった。
「銃は、」
その言葉を呟いて、数秒、無言の間が出来た。
その最中、僕は思い出していた。
様々な酷い映像が頭の中で瞬時に流された。
そして、重い口を開く。
「銃は、警官から奪った」
「その警官、反抗してこなかったのか?」
「ああ」
間髪を入れず答える僕。
窓の縁に鳥がとまった。
その鳥と目が合う。
その鳥と僕が撃った女子高生とが被るように映り込んだ。
目を反らす。
「その警官、何してたんだ?」
「女子高生に夢中だったんだ」
首をかしげる知奈。
無理もないだろう。
「その女子高生が余程好みだったんだろう。喰いつき方が半端じゃなかったよ」
女子高生の血肉を貪る映像が浮かんだ。
あの酷い顔も。
「何が、あった?」
「どうして?」
「顔色が悪い。それに、手、」
「手?」
手元に目を移す。
目を疑う。
僕の両手が。
「震えてる」
震えは止まらない。
無意識に震える手を止められなかった。
知奈が立ち上がったかと思うと、僕の傍に座って、手を握る。
温かい手が僕の冷たい手をぐっと握る。
だからといって何が変わる訳でもない。
でも、今、それが私に課せられた事だと知奈は思っていた。
「外、見えるんだな」
手を握ったまま、彼女も壁にもたれた。
僕の横に座るように、ただそこにいるだけなのに心が落ちつく。
「ああ」
現実は嫌いだ。
でも、こういう一時も良いのかもしれない。
鳥はもういない。
いつの間にかいなくなっていた。
「私、」
そう、ぽつりと彼女は呟く。
誰に聞かせる訳でもなく、ただ呆然と話す姿を見ていた僕は、ただそれを聞いていた。
「私、親を殺したんだ。親だけじゃない。近所の親しかった婆っちゃんも、」
唾を呑み込む音。
呼吸をする音。
震える声。
全てが感じる。
彼女が近くにいるからなのか。
それとも、手を握っているからなのか。
もしくは、ここが静かだからなのか。
そんな思考は構わないで、彼女の言葉は流れていく。
「兄貴が野球で使ってた金属製のバットで殺した」
「金属バットで、」
「私、空手とか色々やってたから、力は強いんだ」
絶対に相手にしたくない女トップ3に入るな、と僕は内心思った。
「私、正直、親の事嫌いじゃなかったんだ。なのに、」
僕と相容れない存在が、ここにいる。
そう感じた。
「銃があるなら、私も使ってたよ。孝が羨ましい」
何かが引っかかる言い方。
「どうして、そう思うんだ?」
「だって、銃だと殺してる感覚がない。私は、直に手に伝わるの、骨を砕く感覚、肉を押し潰す感覚とか」
彼女の顔色が悪い。
話しているのも、やっとというのが、伝わってくる。
そんな話続けても意味がないだろう。
「話、変えようか」
知奈は首をかしげた。
「こんなこと話しても意味がない」
僕は窓の外を眺めながら、言った。
その窓から、そよ風が吹く。
「意味がなくても、いいじゃない。どうせ、ここにはずっといるんだし」
知奈が笑う。
何故、笑う?
確かに『無期懲役』の刑罰に白紙の変換はない。
その笑いは諦め、か。
その時、妙な音を聞いた。
窓の外を見る。
この窓の大きさだと何も確認できない。
嫌な予感だ。
あの時の何かが迫ってくるような感じがする。
壁の向こうから、何かが。
「知奈、肩貸してくれ」
「肩車って事?」
「そうだ。早く!」
血相を急変させる僕に戸惑いを覚えていた知奈だったが、窓の下の壁に手をついて、「いいよ」と言った。
その間にも徐々にその音は大きくなる。
何なんだ、この音は?
知奈の上に上る。
普通なら、僕が下なのだが。
窓の外を見る。
「おい…嘘だろ…」
次第に大きくなるその音に気づき始めるこの牢獄内の人間たち。
俺はすぐさま、知奈から降りた。
「旅客機がこっちに向かって来る!」
声を張って、牢獄内に響かせた。
知奈はそれを聞いてすぐに牢獄の隅で両手を頭に乗せて身体を丸くした。
「衝突するぞ!皆、しゃがむんだ!」
壁の向こう側。
音だけが大きくなる。
「しゃがめ!しゃがむんだ!」
旅客機の中で何があったんだ…?
疑問がわき起こる。
「孝!」
牢獄の隅で丸くなる知奈が、僕を呼ぶ。
僕は知奈の傍らに飛び込んだ。
僕が飛び込んでしゃがんだ直後、凄まじい衝撃と熱風、そして地響きが起こった。
絶対に離すものかと固く握り締めた知奈の手の感触は分かってはいたが、その後の記憶はなく、僕らは意識を失った。
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