もしも。
極度の選択を迫られたとしたら、君ならどうしますか?

僕がある声に迫られた選択。
それは。
世界を滅ぼす代わりに、自分の命を絶つか。
自分の命を絶つ代わりに、世界を滅ぼすか。
の選択だった。
正義感の強い人でも、どれを選ぶのが最適なのかは分からない。
この選択に正義など悪など持ち合わせていないのだから。

そして。
僕は。
後者を選んだ。
悩んだ末に。

どちらが正しいのか。
どちらが間違っているのか。
それが、僕にはとんでもなく分からなかった。

分からなくてもいい。
僕には重すぎたことだ。
僕は神になれないと悟った。
なれると思っていた。
それは過ちだった。
人間は到底、神にはなれないのだから。

この世界は、実に不思議だ。
日常と雰囲気は変わらない。
ただ違うのは、僕以外の人間が居ない事。
そして、居ない彼らの悲痛な心の声が聞こえてくる事。

孤独で。
孤独の。
孤独な。
世界。

もう、慣れた。
元から慣れてはいたが。
改めて、その世界で生きてみると、一層際立つ。
僕の望んだ世界。
どこか望まない世界。
でも、望んでしまった世界を、戻す事は出来ない。

僕の人生なんて、そんなものか。

この世界で生き/二年と十一ヶ月/僕は外へ出るのも面倒で/自分の部屋に閉じこもって/引きこもりではなくて/助けも別に待っていなくて/ただ本の文字面を眺め/その世界に入り込んで/我を忘れて/この世界を忘れて/三十分も掛からずに/読み終わってしまって/僕はこの世界に戻ってしまって/そして、僕は…/どうするのだろうか?

「はぁ…」
ため息を吐いた。
白い息が口から放たれる。
寒さは感じない。
目を窓の外に移した。
窓越しに見つめるは沈みかけの夕陽。
オレンジ色に染まる空。
微かに光り輝く、星の数々。
『まだ、生きたいか?』
聞こえる。
僕のせいで、この世界から追い出された人間達の声が。
『生きている意味がないんじゃないのか?』
僕は本をぱたりと閉じた。
『答えろよ』
静かにしてくれ。
「まだ僕はその答えを見つけてはいない」
閉じた本を再び開いた。
『いつになったら分かるんだよ』
そう。
そうだ。
いつになれば分かる?
「さぁね」
決まり決まって、そう呟く。
僕は異常なのか。
この世界が異常なのか。
もう、今となってはどうでもいい事だが。
『人殺し』
殺してもいないのに、人殺しなんて言われるのは心外だ。
でも、何も言い返せない。
何しろ、僕のせいなのだから。
皆を消したのはこの僕なのだから。
何も考えてなどいない。
頭の中は、いつだって空っぽである。
自分の心の中にそう言い聞かせた。
虚ろな、死んだような目。
僕は長々と並ぶ本の文字面に目を移した。


特別研究室『Last Day』。
藤代と森北が書類に目を通していた。
山積みの段ボールに囲まれるように、二人は立っていた。
「ふぅ…」
藤代は書類を机に置いた。
「もう全てお読みになったんですか」
「ああ。お前の気づいた点の他にも分かった事があった」
何よ。嫌味?それはそうよ。当たり前でしょ?キャリアも違うし、経験も乏しいわよ。
「…流石ですね。藤代先生には敵わないですよ…」
私、何言ってるの…?この頃、変だな…。
「ははは。さてと、分かった事をまとめるぞ」
何も気にしてない…。
良かった…のかな?
「…はい」

『Last Day』というものは基本的に人間の負の感情から、過去の経験などから生じる、未知の病。
それを滅する治療薬は、無いと断定出来る。
唯一の方法としては、『H.LDA』の遺伝子を持つ人間に、その負を滅させるしか、今のところ方法はない。

「じゃあ、望みは、健太君なんですか?」
そうなるな…。
藤代は森北の肩を軽く叩いた。
「でも、まだそうと決まった訳じゃない。まだ、推測の域だ」
だが、そうなると…こちら側が圧倒的に不利じゃないか…。
ため息を吐く。
と、ふと疲れきってやつれた、森北の顔が目に入った。
「森北、最近寝ていないだろう。無理をするな」
「あ、すいません。ありがとうごさいます…」
森北は、仮眠室にふらふらと足を動かして入っていった。その後、すぐに寝息が聞こえてきた。
瞼が重い
そろそろ、俺も休まなきゃな。
藤代は、目薬をさして、椅子に座り込んだ。
廊下を走る足音が聞こえる。
またか…。
また、急患か。
仲林も忙しいな。
扉が勢いよく開いた。
二人?
背の低い少年が二人。
「父さんっ!大変なんだっ!」
…健太?
武君…?
どうしたってんだ?


太陽が沈み、そして昇る。
もうどれだけの月日が過ぎたのか。
何日…何週間、何ヶ月…いや、何年?
「はぁ…」
ため息を吐いた。
太陽が昇り、そして沈む。
また、一日が過ぎようとしている。
今日という明日が待っていて。
明日という今日が別れを言う。
こうして、何の変わり種のない一日が再び繰り返される。
『この世界に、誰がした?』
また。
声が聞こえる。
『どうして…?』
僕は口をつぐんだまま、ただただ聞こえないふりをしていた。
日々、声が大きく、はっきりと聞こえるようになっていた。
僕の居場所もなくなってきているような気がする。
固より、僕の居場所なんて、どこにある?
本を閉じる。
読み終えた後の、悲哀感。立ち上がり、本の並ぶ棚の前に立つと、また。
『どうして…?』
声が。
本を棚に戻して、その横の本を手に取る。
僕はどれだけの本を読んだのだろう…。
何冊…何十冊、何百冊…いや、もう忘れてしまう程…。
もう…これで最後か。
世も末だな。
「…僕を、恨んでる?」
誰もいない、その部屋で、一人、呟く。
誰も答えない。
何も聞こえない。
彼らは、ひどく一方的だ。
僕の問いには答えようとはしてくれない。
この世界から、僕以外の、無意味な、無意義な一日を過ごしている全ての生物に、消えてしまえと。
願ってしまった。
望んでしまった。
僕は、それを選択してしまったのだ。
その結果、消えてしまった。何事もなかったかのように。
初めから、この世界には僕しかいなかったかのように。
僕は…消してしまった。
さっきまでそこに居たはずのものが、跡形もなく消えた。
ゆっくりと。
目を開ける。
窓に映る自分の顔が目にとまった。
酷くやつれている。その顔が目に入る度、妄想という現実に打ちひしがれる。
見なければいいのに、見てしまう。
僕はどこかで現実を受けとめようとしていたのか?
もう一度見る。
何も、変わらない。
現実は何も変わらない。
不変の心理だとでもいうのか。
…僕は、何一つ…変わらない。
身体中が重く感じる。まともな睡眠を摂っていないつけが、今やって来たのだ。
僕は重い身体を横にした。
そして、目を瞑り、深い眠りについた。

以前、この世界に生きていた人間達。
この世界に住まわされていた住人達。
誰かに定められた運命を演じていた、この世界においての役者達。

男A「今から、そちらのお宅に伺いますので。え?ああ、はい。そうですか。では、午後六時に変更…」
女A「今日は、あなたの大好きなビーフシチューよ」
男B「次会えるのは、来年の夏頃だな。元気でな。また、会おうぜ」
男C「ごめん。こんな事するつもりじゃなかったんだ。許してくれ」
女B「私、君の事好きだよ」

世界の理は、こんな台本のように仕上がっているのだろう。
一つ一つの台詞に意味はない。
感情なんてこもってない。
誰も考えて話しちゃいない。
運命という名の人生を。
人生という名の台本を。
ただ、その通りに口に出しているだけ。
発しているだけなのだろう。
スタート地点は『生』で、ゴール地点は『死』。
人間は何も考えずして、その道を歩む。
その道の、途中の穴に気づかずに、人間はその穴に落ちてしまう。
事故にあう。
不治の病に侵される。
そして、死を迎える。
「哀しいもんだな」
笑った。
「世界なんて、そんなものか…。腐れきったこんな世界に生きている、僕に残された最期は、何だよ!」
ありったけの声で叫んでやった。
これだけ出しても、世界は耳を傾けない。
自分勝手に僕に話しかけて、大事な時に話しかけない。
世界は自分勝手で、どこか億劫で…。
「どうしてなんだろうな…」
僕は、まだ…生きたい。
…のか?


病院の廊下を健太の父は、走っていた。
「はぁ……。はぁ……」
もしもっ。
もしも、健太の言った事が本当なら…。
「はぁ……。はぁ……」
藤代は走っていた。
疲れ切った身体に鞭を打ち、一心不乱に走っていた。
見えた。あそこだ!
医療事務所の前で息を切らした藤代は立ち止まった。
「はぁ…はぁ…。…おい!」
「は、はいっ!って、え、あれ?藤代先生じゃないですか。そんなに急いで、どうなされ、」
「今、盃はどこだ!」
「ふ、藤代先生?」
「どこにいるのか、って聞いてるんだっ!答えろ!」
「え、えっと…ちょっと待ってくだ、」
「冷凍保管所ですわ。先生」
事務所の奥から姿を現したのは、事務長の【渡辺 光】だった。
「…何?」
すらりとした体型は他の女性事務職員に魅了されていた。元々、女優を目指していたらしいのだが、挫折したと聞いている。
「用の無い死人は冷凍室に向かうに決まってるじゃない」
医療現場としては人間性の微塵もない言葉。
渡辺は不敵な笑みをこぼし、その場を去っていった。
「クソったれがっ!」
何でこうも、悪運が重なるんだっ。
いや、分かってはいた、が。それでも、その答えには辿り着きたくはなかった。
冷凍保管所に行っちまったら、生きてるもんもお釈迦になっちまうだろっ。
藤代はすぐ様、冷凍保管所に身体を向けた。
まだこの時間なら間に合う。
健太と武君に借りが出来ちまったようだな。


藤代が走っている今から30分前。
「父さんっ!大変なんだっ!」
「何、どうした?…どうせ、また行こうと決めていた、店が閉まっていた…とかいう話じゃないようだな」
冗談混じりに笑いながら話す藤代は、何かを察したのか、急に真面目な顔に戻した。
「どうした?」
「四階から自殺した、あの盃っつう奴、あいつも『Last Day』かもしれないんだっ!」
「盃の居場所を教えて下さい…」
武は青ざめた顔で、死んだように呟く。
「は?いやいや、冗談も良いところだぞ。…さてと、俺もそろそろ研究の続きが、」
「父さんっ!」
「はぁ…冗談だよ」
頭を掻いて、この空気に困惑したように顔をしかめた。
「間違いなく、盃は死んでいた。死んだ人間が、病気は持たない」
冷静な判断。
道理に適った説明だろう。
「透けていたんです…盃の腕が…」
ぽつりと武の口からこぼれたその言葉は、藤代に衝撃を与えた。
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