駅。
若い車掌と言い争う青年、健人。
ホームには長い車両の電車が一本だけ止まっている。
「ん?ああ。だから、もう満員なんだよ。他を当たってくれ」
八車両の前、二車両は確かに人がいるが、残りは人が全く乗ってはいない。
健人は、車掌の胸ぐらに掴みかかる。
「おい、まだ乗れるだろ!ここの人達を乗せるだけの車両は十分あるはずだ!」
車掌は健人の手をほどき、手を額に当てた。
「いやいやいやいや、次の駅で俺の仲間が乗るんだよ。だから、諦めてね」
軽く、また少し苛立ちを覚える言い方に、頭にきたようだ。
「ふざけっ…!」
殴りかかろうとした矢先、知奈の手が、健人の肩をぽんぽんと叩いた。
「やめとけ」
知奈の後ろにいた孝も続けて言う。
「俺たちは車がある。何とかそれで行こう」
だが、やっぱり、こうなったか…。
仕方がない…。
車のメリット、デメリット。
電車のメリット、デメリット。
車の選択はあながち、間違いではないだろう。
「でもよっ…!」
車掌を睨みながら、言葉を漏らした。
またも、知奈は健人の言葉を遮った。
「落ち着きな、健人」
知奈は健人をぐっと引き寄せると、耳元で呟いた。
「孝のあの顔は、何かしら思う節があるってことだよ。孝の意向に任せてみる価値はある」
価値、か。
しばらく、健人は考え込み、そして、答えを得た。
「ん…よし、分かった」
「取り敢えず、車に乗ろう。目的地については話し合おう」
孝は場の空気を断つように言った。
「オッケー」「おう」
孝と知奈、そして健人が駐車場に向かおうとした。
その時、
「あの、すみません…」
健人は不意に振り返る。
「ん?」
そこには、優しそうな小柄なお婆さんと可愛らしい女の子が手を繋いで立っていた。
「不躾で悪いのですが、この子を一緒に連れて行ってくれませんかね?」
いきなりの唐突な質問にたじろぐ健人。
言葉がうまく出ない。
「えっ」
お婆さんは続けて、
「話を少々聞いてしまってね、お願いします」
頭を深々と下げる。
「俺に聞かれても…、ちょっと待ってくれ」
健人は孝の名を叫ぶと、孝と知奈は同時に振り返った。
走って、こっちに戻ってくる二人。
そして、健人の元へ着くと、「どうした?」と孝は言った。
健人は黙って、お婆さんと女の子に視線を移す。
孝と知奈も彼女らに視線を移した。
「お願いします。どうか、この子を一緒に連れて行ってくれませんかね」
深々と頭を下げたまま、願いを乞うている。
孝は、ただまじまじとお婆さんを見つめていた。
「私のたった一人の孫なんです。お願いします」
孝は知奈に目を移した。
知奈は首をかしげて、口を開いた。
「どうするの?私は別に構わないよ」
そして、健人は、
「お、俺も別に構わないぞ」
と、言いのける。
僕の答えは、まだ迷っている。
これは、メリット、デメリットでは考えることは出来ない。
天秤には乗せられない。
ただ、このお婆さんはたった一人の孫に対して、愛情というものを注いでいる。
愛情、僕には分からないもの。
だからこそ、僕は。
知りたい。
どんなものなのか。
知りたい。
「はい」
重く、また乾いた唇をゆっくり開いて声を発した。
瞬時に、老婆の目が希望に満ちた。
「分かりました。責任を持って、」
言って、気づいた。
責任なんて持ったのは初めてだ。
僕の中で、何かが変わり始めている。
「責任を持って、預かります」
僕は頭を深々と下げた。
「ほ…本当ですか?」
頭を上げて、こくりと頷く。
「本当に、有り難うございます…」
お婆さんの目から涙が溢れた。
知奈はお婆さんに駆け寄り、丸みを帯びた背中をさする。
「婆ちゃん、泣くんじゃないよ。孫の前で」
お婆さんは手で、涙を拭うと 、
「あぁ、そうでしたね。ありがとうね」
知奈に礼を言うと、お婆さんは女の子の前にゆっくりと腰を下ろした。
そして、重い口を開き始めた。
「三咲、婆ちゃんとは、ここでお別れ」
一生の別れ。
こんなに悲しいものなのか。
こんなに辛いものなのか。
僕にはとんでも分からない。
三咲が口を開く。
「お婆ちゃん…一緒…違う?」
「ごめんね。三咲と、ずっといたかったんだけど、これからはこの人達と一緒にいてあげてね」
三咲の頭を優しく撫でる。
彼女は三人を見回して、ますます不安がる。
「この人達…知らない…誰?」
手が震えている。
その手をお婆さんが握る。
「婆ちゃんの大切な友達さん。だから、三咲の事を支えてくれるから。守ってくれるから」
三咲を見て、健人、知奈、孝の順に顔を見ていく。
「婆ちゃん…」
三咲に顔を戻す。
「友達さんの言うこと聞いて、一緒にいるのよ」
また頭を撫でた。
「…嫌」
彼女は首を横に振る。
「婆ちゃんの言うこと、聞いて、お願いね。三咲はいい子、三咲はいい子…」
うつむいたまま、何かを呟いた。
「…婆ちゃん」
「なぁに?」
お婆さんは微笑んだ。
「三咲…分かった…」
暗い表情のまま、三咲は首を縦に振った。
「えらい、えらいよ」
頭を撫でる。
僕は時計を見る。
時間がない…。
孝は一歩前に出ると、口を開いた。
「もう時間がない」
それを聞いて、お婆さんはゆっくりと立ち上がると、そのまま半歩下がった。
「いいわ、連れていってあげて下さい」
微笑むお婆さん。
涙を我慢しているようだ。
「はい」
孝は三咲の背中に手をあてがうと、軽く押してやる。
「…婆ちゃん」
「元気でね、三咲」
手をゆっくりと振るお婆さん。
「ばい…ばい…」
三咲もお婆さんを真似て、小さく手を振る。
三咲が前に向き直ると、孝は「ちょっとごめんね」と言って、彼女を抱きかかえた。
そして、走る。
もうすぐ奴らが来る。
健人は孝が走り始めた頃、微笑み続けるお婆さんの前に立った。
「婆っちゃん、もう一人車に乗れるんだよ。乗りたいなら、」
「私は、老いぼれよ。後、何年生きれるか分からないさ。さぁ、行ってくれませんか?皆さん、待ってますよ」
健人の目頭が熱く、大粒の涙が床に落ちる。
「あんたみたいな男でも、涙流すんだな」
知奈は腕を組みながら、健人に近寄る。
「男は泣くもんじゃないの。ましてやレディの前で」
にっと笑う知奈。
「でも…よ、」
お婆さんは健人に微笑む。
「私のために泣いてくれるなんて、ありがたい人ね。もう一人の男の子もそう。感情を必至に抑えて、淡々と平静を保ってくれた、あの優しさにも感謝してる。彼にそう言ってくれる?」
健人は涙を拭いて、深く頷き、
「…、分かりました」
と、言った。
「あの子の事、よろしくお願いします」
知奈と健人に深々とお辞儀をすると、ホームの人混みの中へ入って、消えてしまった。
その人混みをじっと眺める最中、車のブレーキ音が辺りに響く。
二人は不意に振り向く。
黒の車。
マーケットの駐車場で俺達が拾った車。
「健人、知奈、急げ!奴らが来た!」
開いた窓から孝が声を発すると、他の人らは一斉に混乱の渦に巻き込まれた。
「…ああ!今、行く!」
二人は、顔を見合わせて、その車に向かった。
車の扉を開き、急いで乗り込む二人。
「乗ったぞ!」
健人が声を荒げて発した直後、アクセルが踏まれた。
人混みであふれた駅から、数少ない他の車やバイク等も発進する。
駅からの脱出。
得たのは、電車が使えない事。
そして、言葉が上手く喋れない女の子。
「孝、駅が使えなくなったが、良いのか?」
唐突に、沈黙を破る健人の声。
孝は少し黙りとすると、
「電車のメリットは何か分かるか?」
と、淡々と呟く。
「そりゃあ、速さだろ」
健人はすぐに答えた。
「電車のメリットか、車と比べて、殻が硬いことか」知奈は頭を傾げながら呟く。
「確かに、この車と比べれば速度も速いし、外殻の強度も硬い」
孝はハンドルを右に回した。
だが、直後ブレーキを思いっきり踏み込んだ。
「おわっ!」
健人の声。
皆、急なブレーキで前につんのめる。
甲高いブレーキ音が鳴り響くと、車は速度を落として、停車。
孝の車の急ブレーキに反応し、次々と停まる車やバイク。
「どうしたってんだよ」
健人が頭を押さえながら、はた迷惑だと言わんばかりの顔つきで、孝に話しかける。
「ここは、まずい…」
呟く孝に、知奈が辺りを見回す。
特にこれと言って、変わったところは見受けられない。
「孝。何がまずいんだよ」
孝はすぐにハンドルを切り、元来た道を戻る方向へ車を反転させた。
「ここは奴らが潜んでる。別の道を行った方が安全だ」
「どうしてわかるんだ?」
「血痕だ。まだ新しい。それに足跡も、向こうまで続いてる」
すると、赤のバイクが近づいてきた。
窓を開けると、ヘルメットを取る若い青年。
「どこに向かう?」
「警察署に行きたい」
若い車掌と言い争う青年、健人。
ホームには長い車両の電車が一本だけ止まっている。
「ん?ああ。だから、もう満員なんだよ。他を当たってくれ」
八車両の前、二車両は確かに人がいるが、残りは人が全く乗ってはいない。
健人は、車掌の胸ぐらに掴みかかる。
「おい、まだ乗れるだろ!ここの人達を乗せるだけの車両は十分あるはずだ!」
車掌は健人の手をほどき、手を額に当てた。
「いやいやいやいや、次の駅で俺の仲間が乗るんだよ。だから、諦めてね」
軽く、また少し苛立ちを覚える言い方に、頭にきたようだ。
「ふざけっ…!」
殴りかかろうとした矢先、知奈の手が、健人の肩をぽんぽんと叩いた。
「やめとけ」
知奈の後ろにいた孝も続けて言う。
「俺たちは車がある。何とかそれで行こう」
だが、やっぱり、こうなったか…。
仕方がない…。
車のメリット、デメリット。
電車のメリット、デメリット。
車の選択はあながち、間違いではないだろう。
「でもよっ…!」
車掌を睨みながら、言葉を漏らした。
またも、知奈は健人の言葉を遮った。
「落ち着きな、健人」
知奈は健人をぐっと引き寄せると、耳元で呟いた。
「孝のあの顔は、何かしら思う節があるってことだよ。孝の意向に任せてみる価値はある」
価値、か。
しばらく、健人は考え込み、そして、答えを得た。
「ん…よし、分かった」
「取り敢えず、車に乗ろう。目的地については話し合おう」
孝は場の空気を断つように言った。
「オッケー」「おう」
孝と知奈、そして健人が駐車場に向かおうとした。
その時、
「あの、すみません…」
健人は不意に振り返る。
「ん?」
そこには、優しそうな小柄なお婆さんと可愛らしい女の子が手を繋いで立っていた。
「不躾で悪いのですが、この子を一緒に連れて行ってくれませんかね?」
いきなりの唐突な質問にたじろぐ健人。
言葉がうまく出ない。
「えっ」
お婆さんは続けて、
「話を少々聞いてしまってね、お願いします」
頭を深々と下げる。
「俺に聞かれても…、ちょっと待ってくれ」
健人は孝の名を叫ぶと、孝と知奈は同時に振り返った。
走って、こっちに戻ってくる二人。
そして、健人の元へ着くと、「どうした?」と孝は言った。
健人は黙って、お婆さんと女の子に視線を移す。
孝と知奈も彼女らに視線を移した。
「お願いします。どうか、この子を一緒に連れて行ってくれませんかね」
深々と頭を下げたまま、願いを乞うている。
孝は、ただまじまじとお婆さんを見つめていた。
「私のたった一人の孫なんです。お願いします」
孝は知奈に目を移した。
知奈は首をかしげて、口を開いた。
「どうするの?私は別に構わないよ」
そして、健人は、
「お、俺も別に構わないぞ」
と、言いのける。
僕の答えは、まだ迷っている。
これは、メリット、デメリットでは考えることは出来ない。
天秤には乗せられない。
ただ、このお婆さんはたった一人の孫に対して、愛情というものを注いでいる。
愛情、僕には分からないもの。
だからこそ、僕は。
知りたい。
どんなものなのか。
知りたい。
「はい」
重く、また乾いた唇をゆっくり開いて声を発した。
瞬時に、老婆の目が希望に満ちた。
「分かりました。責任を持って、」
言って、気づいた。
責任なんて持ったのは初めてだ。
僕の中で、何かが変わり始めている。
「責任を持って、預かります」
僕は頭を深々と下げた。
「ほ…本当ですか?」
頭を上げて、こくりと頷く。
「本当に、有り難うございます…」
お婆さんの目から涙が溢れた。
知奈はお婆さんに駆け寄り、丸みを帯びた背中をさする。
「婆ちゃん、泣くんじゃないよ。孫の前で」
お婆さんは手で、涙を拭うと 、
「あぁ、そうでしたね。ありがとうね」
知奈に礼を言うと、お婆さんは女の子の前にゆっくりと腰を下ろした。
そして、重い口を開き始めた。
「三咲、婆ちゃんとは、ここでお別れ」
一生の別れ。
こんなに悲しいものなのか。
こんなに辛いものなのか。
僕にはとんでも分からない。
三咲が口を開く。
「お婆ちゃん…一緒…違う?」
「ごめんね。三咲と、ずっといたかったんだけど、これからはこの人達と一緒にいてあげてね」
三咲の頭を優しく撫でる。
彼女は三人を見回して、ますます不安がる。
「この人達…知らない…誰?」
手が震えている。
その手をお婆さんが握る。
「婆ちゃんの大切な友達さん。だから、三咲の事を支えてくれるから。守ってくれるから」
三咲を見て、健人、知奈、孝の順に顔を見ていく。
「婆ちゃん…」
三咲に顔を戻す。
「友達さんの言うこと聞いて、一緒にいるのよ」
また頭を撫でた。
「…嫌」
彼女は首を横に振る。
「婆ちゃんの言うこと、聞いて、お願いね。三咲はいい子、三咲はいい子…」
うつむいたまま、何かを呟いた。
「…婆ちゃん」
「なぁに?」
お婆さんは微笑んだ。
「三咲…分かった…」
暗い表情のまま、三咲は首を縦に振った。
「えらい、えらいよ」
頭を撫でる。
僕は時計を見る。
時間がない…。
孝は一歩前に出ると、口を開いた。
「もう時間がない」
それを聞いて、お婆さんはゆっくりと立ち上がると、そのまま半歩下がった。
「いいわ、連れていってあげて下さい」
微笑むお婆さん。
涙を我慢しているようだ。
「はい」
孝は三咲の背中に手をあてがうと、軽く押してやる。
「…婆ちゃん」
「元気でね、三咲」
手をゆっくりと振るお婆さん。
「ばい…ばい…」
三咲もお婆さんを真似て、小さく手を振る。
三咲が前に向き直ると、孝は「ちょっとごめんね」と言って、彼女を抱きかかえた。
そして、走る。
もうすぐ奴らが来る。
健人は孝が走り始めた頃、微笑み続けるお婆さんの前に立った。
「婆っちゃん、もう一人車に乗れるんだよ。乗りたいなら、」
「私は、老いぼれよ。後、何年生きれるか分からないさ。さぁ、行ってくれませんか?皆さん、待ってますよ」
健人の目頭が熱く、大粒の涙が床に落ちる。
「あんたみたいな男でも、涙流すんだな」
知奈は腕を組みながら、健人に近寄る。
「男は泣くもんじゃないの。ましてやレディの前で」
にっと笑う知奈。
「でも…よ、」
お婆さんは健人に微笑む。
「私のために泣いてくれるなんて、ありがたい人ね。もう一人の男の子もそう。感情を必至に抑えて、淡々と平静を保ってくれた、あの優しさにも感謝してる。彼にそう言ってくれる?」
健人は涙を拭いて、深く頷き、
「…、分かりました」
と、言った。
「あの子の事、よろしくお願いします」
知奈と健人に深々とお辞儀をすると、ホームの人混みの中へ入って、消えてしまった。
その人混みをじっと眺める最中、車のブレーキ音が辺りに響く。
二人は不意に振り向く。
黒の車。
マーケットの駐車場で俺達が拾った車。
「健人、知奈、急げ!奴らが来た!」
開いた窓から孝が声を発すると、他の人らは一斉に混乱の渦に巻き込まれた。
「…ああ!今、行く!」
二人は、顔を見合わせて、その車に向かった。
車の扉を開き、急いで乗り込む二人。
「乗ったぞ!」
健人が声を荒げて発した直後、アクセルが踏まれた。
人混みであふれた駅から、数少ない他の車やバイク等も発進する。
駅からの脱出。
得たのは、電車が使えない事。
そして、言葉が上手く喋れない女の子。
「孝、駅が使えなくなったが、良いのか?」
唐突に、沈黙を破る健人の声。
孝は少し黙りとすると、
「電車のメリットは何か分かるか?」
と、淡々と呟く。
「そりゃあ、速さだろ」
健人はすぐに答えた。
「電車のメリットか、車と比べて、殻が硬いことか」知奈は頭を傾げながら呟く。
「確かに、この車と比べれば速度も速いし、外殻の強度も硬い」
孝はハンドルを右に回した。
だが、直後ブレーキを思いっきり踏み込んだ。
「おわっ!」
健人の声。
皆、急なブレーキで前につんのめる。
甲高いブレーキ音が鳴り響くと、車は速度を落として、停車。
孝の車の急ブレーキに反応し、次々と停まる車やバイク。
「どうしたってんだよ」
健人が頭を押さえながら、はた迷惑だと言わんばかりの顔つきで、孝に話しかける。
「ここは、まずい…」
呟く孝に、知奈が辺りを見回す。
特にこれと言って、変わったところは見受けられない。
「孝。何がまずいんだよ」
孝はすぐにハンドルを切り、元来た道を戻る方向へ車を反転させた。
「ここは奴らが潜んでる。別の道を行った方が安全だ」
「どうしてわかるんだ?」
「血痕だ。まだ新しい。それに足跡も、向こうまで続いてる」
すると、赤のバイクが近づいてきた。
窓を開けると、ヘルメットを取る若い青年。
「どこに向かう?」
「警察署に行きたい」
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