気づけば、僕の意識は戻っていた。
時折、我を忘れて、勝手に身体が動いてしまう時がある。
その時に限って、無駄に身体の四肢が力まず、思っていた以上の力が出せる。
潜在能力なのか。
だからといって、空を飛べるわけでもないし、壁を破壊できる力を得るわけでもない。
ある意味、この潜在能力は現実的なのかもしれない。
「孝、起きたのか」
知奈の声。
「あぁ」
振り返る。
が、記憶にある知奈とは少し違う。
「気づいた?髪を切ったの」
ロングの髪はショートに変わっていた。
「どうしてなんだ?邪魔だったのか?」
瓦礫の山を下りていく。
見渡せば、ところどころ、火が残ってはいたが、こちらは大丈夫なようだ。
「まぁね」
と、照れながら知奈は言う。
空を見上げる。
空は灰色にくすみ、今にも雨が降りそうである。
さっきまであんなに澄みわたっていたにも関わらず、僕らが少しの間意識を失っている間に、失われたものは多い。
辺りを見回す。
「歩こうか」
その時、後ろの瓦礫が、がらがらと崩れ落ちた。
「ちょっ…待ってくれ…」
若い男の声。
手を真上に差し出している。
「知奈、手を貸せ!」
瓦礫の山に上り、差し出された手の傍に向かう。
手を差しのべている男は、僕と同じくらいの年頃。
「大丈夫か!」
年齢が同じくらいだと、どうしてこうも親しみが湧くのだろう。
声を掛けると男の顔がこちらに向いた。
「ああ、一応な。少しこの瓦礫をどけてくれないか。自分じゃどうすることも出来ないんだ」
男は何とか出ようと試みるが、瓦礫が邪魔なようで出れる様子はない。
「知奈、手分けして、どけていくぞ」
この人を助ける、僕の頭の中はそれだけ考えていた。
「分かった」
知奈も力強く頷く。
知奈に比べて、僕はあまり力がない。
力仕事は得意ではないのだ。
だから、僕は男ながら、手頃なものからどけていった。
今は秋。
涼しい風が吹いているからこそ、ありがたい。
真夏であれば、僕らは倒れてしまうだろう。
汗を流しながら、僕らは撤去作業を続けていた。
「よし」
だいぶ瓦礫を外側にどけることが出来た。
残っているのは、素手では持ち上げられそうにない鉄骨やら、コンクリートの塊やら。
「ありがとう。あとはこの頭上の板をどけてくれるか?」
知奈が近くの鉄骨に足を掛け、男の言う板に触れる。
「これか?」
「そうだ。これさえどけてくれれば、後は自分で出れる」
だが、その板は鉄骨との間に挟まれており、容易に抜き取る事はできず、ましてや、厚みもあるので折ることも普通では難しい。
力のある知奈なら、もしかすれば何とかなるのではないか。
と、過信していた僕であったが、流石の知奈でも厳しいらしく、試行錯誤を繰り返している。
「どけられそうか?」
「ちょっと厳しいかな。でも、何とかなる。ちょっと待っててくれ」
そう、知奈は言うと、近くに落ちてあった、尖ったものを適当に拾い集め始めた。
僕は空を見上げる。
やはり、空はどんどん暗くなっていく。
雨が降れば、たちまちどしゃ降りになってもおかしくはないだろう。
「雨が降らない内にお前を出してやりたいな」
そう呟き、僕も知奈が拾い集めている尖ったものを集める。
これをどう使うのかは分からないが、知奈に任せるしかない。
「これくらいでいいか?」
僕は知奈の足元に置くと、深く頷いた。
そして、彼女は少し大きめの石を手で軽々と持つと、その尖ったものをもう片方の手で掴み、板の前に立った。
「板に穴を空けて、強度を弱める」
そう言うと、板に先端を当て、まるで大工がトンカチで釘を打つように、知奈は石でそれにぶつけた。
鈍い金属音が響く。
それを繰り返すと、ようやく板に刺さり込んだ。
それを両手で縦横に動かして穴を広げていく。
十分に広げたのを確認すると、それを抜き取る。
そして、穴を空けた真下付近に、それの先端を当てて石をぶつける。
先端が欠けたり、曲がってしまえば、それを捨てて、拾い集めた尖っているものと変える。
石が割れれば、その辺にごろごろ転がっている石を拾う。
そのような行動を繰り返していく。
鈍い金属音は、単調に鳴り響く。
知奈はただ穴を空けることに集中力を注ぎ続ける。
鈍い金属音が響く。
ふと辺りを見回す。
ある一点の方向。
何かが蠢いている。
やはり、来たか…。
僕は足元にある、瓦礫の隙間から飛び出した鉄棒を両手で掴み、引き抜いた。
長くて、程よい重さを持つ。
手にしっくりくる。
「銃があるなら、私も使ってたよ。孝が羨ましい」
ふと知奈の言葉が脳裏に蘇った。
「だって、銃だと殺してる感覚がない。私は、直に手に伝わるの、骨を砕く感覚、肉を押し潰す感覚とか」
その言葉が脳裏に不気味に響き渡る。
「銃か、俺も銃の方が良いな」
僕は呟いた。
知奈にも聞こえないくらいの声で。
瓦礫の山をかき分けて、僕はところどころまだ火の残る場所に移動する。
「孝、どこに行くんだ?」
足が止まる。
まさか呼び止められるとは思ってもいなかった。
この僕が、誰かに気づいて貰えたりしたこともあまりなかったのだから、相手にもされなかったのだから。
知奈の集中を極力解いてはいけない。
「他に生存者はいないか、見てくるよ。すぐに戻る。そいつを絶対に助けてやってくれ」
僕は軽く笑顔で知奈に言った。
愛想笑いというものだ。
もちろん、それは作り笑いである。
知奈は手のひらを額に当てて、敬礼をした。
「りょーかい」
と。
そして、再び彼女は板と向き合い、僕は鉄棒を堅く握りしめると、足を前に進める。
足場の悪い踏み場も力強く踏み固め、なるたけ、踏み場の良いところで殺らなければならない。
「苦しみながら死ぬのだけは勘弁だな」
瓦礫の山を二つ、三つ越えた先に広い場所があった。
僕がその場に足をつけると同時に、彼らも姿を現した。
足を止める。
男女含めて視界に入っているのは、三人。
「う…う゛ぁ………」
男の眼球がぼとりと地面に落ちた。
腐臭が鼻につく。
「う゛…る゛ぅ………」
声を唸らせて、警戒しているのか。
彼らの口から赤黒い血液が垂れ落ちる。
「お前らに理性はあるのか?」
僕は呟く。
言葉が通じるとは思っていない。
理性があるとも思っていない。
出来ることなら、僕だって殺しなんてしたくない。
彼らは聞く耳を持たず、地面に広がっていく血溜まりが非現実さをいっそう引き立たせる。
額から流れた汗が、頬を伝う。
その汗が顎を伝い、そのまま地面に落ちた。
と、唐突に彼らは何の前触れもなく、大きな口を開けて、走ってきた。
あり得ない方向へ曲がっている腕をしきりに動かしている。
「う゛ぁ…ぁぁ………」
獣のような唸り声が耳に入る。
また三人を殺さなきゃならないのか。
人を殺す罪悪感。
彼らは目の前まで来ていた。
殺さなければ、自分が殺される。
頭の中で編み出された答え。
それは、正当防衛。
僕は勢いよく鉄棒を振り下ろした。
湿った水気の破裂した音。
先頭を陣取っていた男の頭蓋骨が割れたようだ。
男の顔が地面と激突した。
頭が変形してしまっている。
とどめを刺そうと思った直後、次の新手が視界に入る。
OLのような女性。
彼女には両腕がなく、肩から血を流している。
鉄棒の先端を彼女に向けると、それを掴む右手を前に突き出した。
「う゛ぐぅ………?」
胸に突き出された鉄棒によって、彼女はそのまま後ろにつんのめる。
彼女の胸も、穴が空いたかのように凹んでいる。
両腕がないので、彼女は起き上がれずにいた。
あと、もう一人。
視界に入った男。
男は立ち止まっていた。
彼には動く気配が見えない。
僕は、まず地面に伏した男と女の後頭部に位置する脊椎を鉄棒で押し砕いた。
彼らは動かない。
完全に死んでいるのか。
だが、僕自身、彼らが死んでいるのか生きているのか分からない。
脊椎を破壊して、致命傷を与えたつもりだ。
普通の人間なら死んでいる致命傷でも、死んでいる人間にはその理論が通用するのか。
分からない。
男を見る。
まだ動く気配がない。
何をしているんだろうか?
「う゛ぅ……う゛ぅ……」
呻き声をあげる男はどこにも不可解な傷痕は見えない。
孝から見えていない彼の背中に無数の大きな穴が広がっている。
その数多の穴の中でに蠢く、緑灰色の小さな虫のような生き物。
蛭である。
通称、チスイビル。
一般的に体長3センチであるにも関わらず、背中で蠢くのは倍の大きさの蛭。
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